青山ビルについて

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青山ビルについて

青山ビル略歴

大正10年 落成(地下1階地上3階塔屋 スパニッシュ風建築)
昭和22年 先代青山喜一が野田氏より譲り受ける。
GHQにより建物接収するという話が持ち上がるが、交渉の結果GHQ将校の施設とすることを条件に接収を免れる。
昭和26年 日本独立とともに返還される。
その後貸ビルとして利用。同時に名称も「青山ビル」とする。
のちに4階・5階を増築。それに伴い屋上庭園と裏庭の日本庭園が廃止される。
平成9年 国登録有形文化財に指定される。
平成22年 大阪市都市景観資源に登録される。

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建物について

所在地大阪市中央区伏見町2-2-6
構造鉄筋コンクリート造 地下1階 地上5階
竣工1921年
施工大林組

青山ビル外観 現在の青山ビルは、外装は先代青山喜一が甲子園から株分けしてもらった蔦に覆われており、四季折々の姿を見せてくれます。
裏庭も現存し、少彦名神社の神木と兄弟木である楠や銀杏の木が植えられており、都会の中と思えぬ風景を作り出しています。

ねじり細工の手すり 館内には随所に大正時代のイタリア製ステンドグラスやガラス窓が残されています。
階段の手すりはねじり細工で作られており、その他に飲食物運搬用リフト、食堂のマントルピースなど現在では復元不可能なものが多々存在しております。
いずれも近代建築史上貴重なものとなっています。

鳥のステンドグラス このように現存するのは、俳人山口誓子をはじめとする歴代のテナントの方々ならびに建物を愛する人々により大切に利用していただいた所以です。
また、各テレビ局や雑誌等への掲載の対象に多々なっておりますが、いずれも保存保護の趣旨に賛同していただき配慮していただいております。


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